カウンタックはどこへ(その2)

1985年11月トリノショーのプレスデイにやってきた、
フェルッチオとスタンツァーニはある男と再会する。

スタンツァーニがランボルギーニを去った後、チーフエンジニアを引き継いだ
二人とは旧知の仲のフランコ・バラルディーニであった。

二人は少し前に話していた「また二人で車を造ったら」という妄想プロジェクトを彼に話した。
するとバラルディーニはある人に合ってみないか言い出した。

バラルディーニが働く自動車ディーラーの社長、ロマーノ・アルティオーリだ。
彼はブガッティ復活を目論んでいたのだ!

後日、スタンツァーニはアルティオーリと面会することになる、
2回目と3回目の会談にはフェルチオも同席するのだが、
会談が終わった後、計画に参加する事をためらっているスタンツァーニにフェルチオは言う。
「君は彼の所で設計すればいい、彼は間違いなく失敗する!その時、俺が出て行く」
二人の妄想は現実として動き出した。

こうして新生ブガッティの技術主任なったスタンツァーニの開発チームには、
往年のランボルギーニの技術者達が名を連ねる事となる。

そしてもう一人、ディアブロのデザインを終えたあとだろうか?
マルチェロ・ガンディーニの登場である!!
まさにカウンタックのリベンジが始まる!!

1988年、EB110のプロトタイプ初号モックアップが完成する!!
Cカーを連想するようなボディは正直カウンタックのような美しさはないが、
各所にガンディーニらしいクセの強いデザインがアクセントになっている。
まるでカウンタックで問題となった空力を徹底的に改善するかのように
リアバンパー下には二つのファンも並んでいる!!

EB110プロト

とここでこの車何かに似てるような・・・
そう1976年3月のジュネーブショーで発表された"Navajo"だ!!
カウンタック市販から2年後もしかするとガンディーニは、
カウンタックの問題を意識して、可変スポイラー・リアウイングなど空力を重視した
この車をデザインし、その発展形がEB110になったではと妄想してしまった。

navajoEB110プロト

話をもどしてスタンツァーニの方は、カウンタックでのやり残した宿題に取り掛かった。

カウンタックではエンジンの前にミッションを配置し
後に4WD化することも折込済みの斬新なレイアウトを構築したが
しかし、カウンタックはエンジンを専用設計できず後輪のデフに繋ぐシャフトは、
ウエットサンプのオイルパンの中を通す事となりエンジン位置は上げざる得なかった。

スタンツァーニは同じ事するのは嫌いな人で
全く新しいミッドシップを構築し始めた!!

エンジンの前にクラッチ、そしてミッションは前ではなくエンジンの脇にエンジンに!!
ちょうどミウラのパワートレインを90度回転させた状態でミッション後方にデフを配置、
さらにミッションケースをエンジン前端へ伸ばし、そこにトランスファーを仕込んで前輪へ
ドライブシャフトを伸ばし4WD化、もちろんドライサンプ化もしオイルパンの極薄にして
思いっきりエンジン搭載位置を下げて見せた!!

スタンツァーニとガンディーニによるカウンタックのリベンジは成功に向かっているように見えたが、

90年アルティオーリの無謀な経営計画を見てこの計画が崩壊する前にと
スタンツァーニが動き出す!ブガッティの大口出資者の一つ
グルッポPROからの出向というで働いていた彼は、その所有株を後ろ盾に
代表取締役の席を要求したのだ!しかしこの時もう一人のキーマン、フェルチオは病に倒れ
93年2月20日この世を去ることになる。

スタンツァーニの反乱は失敗に終わりブガッティを去ることになる。
ガンディーニもモックアップ1台と4台の実装試作車のプロトタイプを残し去ってゆく。
こうして、もう一つのランボルギーニ・カウンタックの物語は静かに幕を閉じる事になる。

その後は、技術主任はF40の開発をしたニコラ・マラッツィ
スタイリングはアルティオーリの親族ジャンパオロ・ベネディーニがそれぞれ引き継ぎ
91年9月14日、6台目のフレンチブルーの量産型プロトが発表される。

EB110

しかしロータスやヴェクター社まで買収し無謀な投資を繰り返し
95年9月、新生ブガッティは倒産する。

後に、フォルクスワーゲンが商標権および製造販売権を獲得し
1998年に復活、史上最速のスーパーカーとして君臨するがそれはまたいつか・・・
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カウンタックはどこへ(その1)

カウンタック誕生後のランボルギーニといえば、

オイルショック・排ガス規制などスーパーカー冬の時代、
1974年カウンタックが市販されると、翌年にパオロスタンツァーニが社を去ってしまう。
そして、1978年4月に倒産するが、その直後スイスの実業家ミムラン兄弟に救われ
どうにか80年代まで生き延びることになる。

そんななか85年にミナルディ、アウトデルタとレース畑を渡り歩いてきた、
ルイジ・マルミローリ技師がチーフエンジニアとしてランボルギーニにやってくる。
真っ先に取り掛かったのはカウンタックの後継モデル"P132" の制作だ!!

資金力も人でもない・・・基本設計を流用するしか選択肢ないモデルチェンジだった。

パッケージがある程度決まるとスタイリングが発注された、
前回と同じく79年にベルトーニから独立したマルチェロ・ガンディーニだ!
86年の5月にはスケールモデルの完成させる。エッジの効いたデザインだ!!
しかし、そこからは資金もなく開発は滞ってゆく・・・

Diablo01.jpg

ところが、事態は急変する。クライスラーによる買収が持ち上がったのだ!!
仕掛けたのは、あの"リー・アイアコッカ"!!
フォード社長時代にデ・トマソを買収し"パンテーラ"を開発させたその人である!
78年に会長のヘンリー・フォード2世に
「別に理由はない。俺はお前が好きでなくなっただけだ」の一言で解雇されるや
すぐにライバル会社 クライスラーの社長に就任!
深刻な経営危機を数年でV字回復さてしまう。

そんなアイアコッカ買収の動きも素早く。
87年6月にランボルギーニを正式に買収!
あと半年遅かったら11月に起こる世界的株価暴落ブラックマンデーで
買収の話はどうなっていたかと思うと絶妙なタイミングだった!

Diablo02.jpg

その後、金も口も出すアイアコッカは、ガンディーニにデザインを修正させる。
新しい案を見たアイアコッカや上層部は気に入ったようなのだが・・・
こんどは、デトロイトのデザインセンターのデザイナー達が寄って集って改修する!
結果、1990年あのマイルドなデザインの"ディアブロ”が誕生する。

Diablo03.jpg

ここで少し時を戻して1985年11月トリノショーのプレスデイ。
そこにいたのはカウンタックの設計者、パオロ・スタンツァーニ
そしてその隣にはフェルッチオ・ランボルギーニがいた。
二人は退職後も交流がありショーの見物に来ていた。

そんな二人に気付いた報道陣が、
自動車業界に再デビューするのではとざわめき出す。

それを見てフェルッチオはスタンツァーニは
「本当にまた二人で車を造ったらどうだろう。」
と妄想プロジェクトで盛り上がるのだが、
ここにもう一人の登場人物が・・・止まっていた時間が動き出す!

いまさらカウンタック(その2)

ランボルギーニのチーフエンジニアとなった天才パオロ・スタンツァーニ
当時の最新の技術を取り入れて行き、
当時、モデナでは馬車時代から専門業者があったこともあり
鋼管フレームが主流だったのだが(フェラーリは1989年の412まで鋼管フレーム)
ウラッコでアウタースキンまで溶接一体化した近代的なモノコックにしてしまう!

そんなパオロスタンツァーニと奇才マルチェロ・ガンディーニ
が挑んだカウンタックでいくつかの誤算が・・・

1971年に発表したプロトタイプLP500ももちろん鋼板モノコックを取り入れるのだが
あまりにも凝った構造ゆえ、重量がかさんだのと手間が掛かりすぎるため
市販のLP400では、モノコック部分を細い鋼管をトラス構造を基本に緻密に組み上げ、
結果あの独特のオーバークオリティの工芸品のようなフレーム構造になってしまたのだ!

もう一つ誤算が!高速走行時のリフトだ!
リアにあるラジエターから入った空気がエンジン・コンパートメントに溜まって
車体を浮き上がらせるという説もあるが、
スタンツァーニの話では、根本の原因はボディ形状自体を
あまりにも綺麗な翼断面形状にしたためだという。

当時はまだ風洞がなく、揚力の観察が難しい中
実走テストで空気の流れを整えていったので余計に
翼断面効果を生んでしまってということらしい。

しかし、そんな誤算の結果カウンタックは
高剛性の工芸品のようなフレームと
あの美しいボディを手に入れることになったのだが・・・

やはり納得のいかなかったのは
パオロスタンツァーニとマルチェロ・ガンディーニの二人だろう。
ある車でリベンジをはたそうとするのだが・・・
それは、また別の話・・・

LP400.jpg

いまさらカウンタック(その1)

カウンタックに関しては書籍もあふれているし・・・
いまさら?だが、やはりここから話して行かないと始まらないので
少しお付き合いいただきたい。

カウンタックはなぜ別格か・・・見た目でしょ!!
実際大人になって十数年ぶりに実車を見た時に
エッッ!!LP400ってこんな小さいの!12気筒積んで!!
シンプルで美しいデザインだから余計小さく見える・・・
とあらためて驚いたのだが、さて、ここでパッケージングがどうこういう話は
聞き飽きてると思うので割愛して・・・

作った人達のお話に、やっぱり作った人達が凄いんです!!

デザイナーは、ご存知当時ベルトーネのマルチェロ・ガンディーニ!!

そして設計はパオロ・スタンツァーニなのだが、
この方、とんでもない人なのだ!

1966年にフェルッチオ・ランボルギーニが
「自動車部門は、儲からないからやめる」
と言い出してとき社員が抗議したら、スタンツァーニお呼び出し
「君が会社の全業務を取り仕切って動かすなら、社を存続する」
と30歳にも満たないスタンツァーニに丸投げしたのだ!!

しかもスタンツァーニそれを承諾して
経営・製造・開発・販売に宣伝広告からカタログ製作まで統括しながら
その合間で車輌設計をやっていたというから、ドンだけ凄いんですか?!

ちなみに66年当時のチーフエンジニアはジャンパオロ・ダラーラで
スタンツァーニがチーフエンジニアとなり手掛けたのは
1970年11月のトリノショーで登場した"ウラッコP250"あたりからなのだが、
なんと!そんな忙しい最中の70年の7月からカウンタックの基本設計は始まり
わずか4ヶ月終わらせると12月にはプロトタイプLP500の製作に取り掛かり
4ヵ月後の71年3月、ジュネーブショー・ベルトーネのブースでお披露目となる!!

LP500.jpg

つづく

スーパーカーって??

スーパーカーカード

そもそも「スーパーカーって何?」

高性能ミッドシップロードカーでエンジンはV6以上!!なんてイメージを持ってる人も多いかも。

70年代起こったスーパーカーブーム、当時の子供だった私の周りでは、
コルベット・カマロ・トランザムなどアメ車もBMW2002ターボも
なんかスゴそうな車はみんなスーパーカーだったような。

今では、ヨーロッパの大排気量スーパースポーツカーをエキゾチックカーなんて呼んだり
GT-Rやインプレッサ、ランエボも海外の方にとってはスーパーカーであったりと
スーパーカーの定義は人それぞれである!

それでは子供の頃、私にとって好きなスーパーカーとは、と言われれば、
ミウラでも365GT4BBでもなく、
「ランボルギーニ カウンタックLP400とランチア ストラトス!!」
と即答していた!!
多くの人にとってもスーパーカーの中心の1台はと言えば
やはり"カウンタック"なのではないだろうか?
(原語の発音をカタカナにすると"クンタッシュ"なのだが…もうそこはつっこまないでツッコまないで!)

と言うわけでSMP24のスーパーカー模型化計画はどこへ向かっていくか・・・

スーパーカーの中心にカウンタック置いた時に
それに影響を与えた車や、影響を受けた車を
デザイナー・エンジニア・メーカー・時代背景など色々な視点で
高性能ミッドシップロードカーに限らず、
FRのGTカー・小型スポーツカー、時にはショーカー、
進化の過程で消えていったプロトタイプまで
超個人的な見解と妄想で縦横無尽に枝葉を伸ばし、
"エッッ!!そんなモノも?!”まで
1/24でキット化して行こうと計画しています。

さて次の1台は・・・



プロフィール

SMP24@TAKA

Author:SMP24@TAKA
車模型師
SMP24というブランド名で1/24の
スーパーカーのガレージキットを
製作しています。
以前はガレージキットメーカーで
3D設計をしてました。
趣味はロードバイク

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